かいデデダイアリー

かいデの日記 スマブラや色々

かいデ思い出話 中学生編

 小学生6年生から中学生1年生へ。中学校は小学校の隣なので小学生の友達はだいたいこの中学に入学するし、通学ルートも変わらんしで目新しさはなかった。
 中学生になると急にヤンキー化し始める人が現れる。ヤンキー化する人は小学校時代から野球やサッカーなど何かしら運動をやっていてフィジカルが出来上がってる人が多いイメージ。僕は当時からゲーム大好きマンで体力に自信はなかったのでヤンキー化することはなかった。ちなみにここで言うヤンキーは教室にダンゴムシばら撒いたりはしない。ドキドキのクラス分け…だったがだいたいが知ってる人だった。このクラスには小学生編で登場した4年生の人気悪ガキキッズもいたが、しっかりヤンキー化していた。ヤンキー化した人間はやはり同族とつるむので、廊下にヤンキーがたくさんいると絡まれないか少し怖かった。
 中学入学後すぐに生徒間での親睦を深めるためにレクリエーション合宿があった。といっても先に述べたように同小学校出身者が大多数だったため、だいたいの人のことは知っていた。こういうお泊り行事では必ず夜更かしする輩が出る訳だが僕もその一人だった。俺は2時まで起きてたぜ!とか自慢しあったりするのも懐かしい午前4時。どうしてこうなった。レクリエーションの内容は山登りとミニゲームだったが、正直あんま覚えてない。ごはんがおいしくて、空気がきれいだった。
 中学生で一番の思い出と言えば部活だ。僕はソフトテニス部に入部した。兄がOBでラケットもお下がりを貰えたのでよかった。体験入部では開始10分で顔面にボールが直撃する。ヤンキー化した人間はだいたいサッカー部、野球、帰宅部のどれかでソフトテニス部にはヤンキーがいなかったこともあり小学校時代仲良かった友達と一緒に入部することに。
 担任の先生はどちらかと言うとおばさんって感じの人だった。知ってる人もいるかもしれないが、僕のおばさんウケの良さは異常で先生も例外ではなく担任の先生にかなり好かれていた。ババキラー。
 入学してすぐの数学の時間、突然の腹痛。ピンチだ。当時はまだ学校で大便することが恥ずかしいことだと思っていたため、授業中にトイレ行きたいですと言い出すことは己のプライドを傷つけることになる。(これは結構わかる人いるんじゃないですかね。特に男性。)ギリギリまで我慢するもこのままでは漏らしてしまうのでええい、とダメージ覚悟でウンコ宣言をしてダッシュ。いやおばさんなんでお前も付いてくるんだ。折角俺が覚悟を決めてウンコ宣言したのにお前が付いてきたらそれこそ大事みたいになるじゃねえか。おばさんと男子トイレまで二人でダッシュし、なんとか漏らさずに大地に感謝することができた。授業中トイレ行ったあとには後ろ側から忍者の如く気配を殺して自席に戻るのが鉄則だが、このおばさんのせいでそれすらも叶わなかった。これほど自分のババキラーを恨んだことはない。
 ソフトテニス部に入部してしばらく経ち大会に出場することになる。ダブルス初戦の相手は全国常連の中学3年2人で背は高いし色黒いしラケットは赤いしでチビガキ抜けきらない僕には恐すぎた。まだテニスの正式なルールも知らない中で出場し、試合はボロ負け、その後の審判も全然うまくやれず今でも軽いトラウマ。学生時代テニスをやっていた人ならわかると思うんですが、負けたあと次の試合の審判やるのはホントにダルくてしんどい。
 夏にはプールがはじまる。スイミングを習っていた訳じゃないけど泳ぐのは好きだった。泳ぐのが好きというより、潜るのが好きだった。プールの授業のときにはもちろん水着に着替えるわけだが、ヤンキーたちは小学生のノリで全裸で遊び回ったり水着を奪って追いかけっこしたりしていた。その矛先が自分に向かないように限界まで気配を消しながら水着に着替え、いざプールへ。
 プールで一番大事なことといえばそれはチンポジだろう。チンポジが悪ければ何か不慮の事故で勃起してしまった時に惨事となりかねない。特に着けてると痒いという理由でサポーターを着けてなかった僕にとってはプールで1番気をつけるべきことはチンポジだった。(笑ってはいけない状況下では箸を落とすだけでも爆笑してしまうように、勃起が許されない状況下では何が勃起要因になるかがわからない。例えそれが男性のみの状況下であったとしてもだ。男しかいないかったらそれはそれでダメなんだけど…。)
 小学生までのプールはまだお遊び感覚で楽しかったが、中学のプールは水泳って感じだった。ひたすら泳がされて、当時からスタミナのない僕はプール後必ず気持ち悪くなっていた。最後の授業にはクロール、平泳ぎそれぞれのタイムを測ったが、クロールより平泳ぎのほうが早かった。(平泳ぎは学年4位)そもそもクロールが苦手なこともあるが、クロールを避けて簡単な平泳ぎばかりしていたからこそ平泳ぎが速くなったのかな?このような記録に高順位で名前が載ることなんていままでなかったのですごく嬉しかった記憶がある。
 冬になり、平和なソフトテニス部に異変が起こる。3学期になってすぐ、転校してきた2年生のひとりがソフトテニスに入部した。転校前の学校がソフトテニスの強豪校だったらしく、あまりの強さに部員一同愕然とした。しかし、まだ1年生の僕たちにとっては頼りになる先輩の存在は大きくソフトテニス部に迎え入れられた。(2年、3年の先輩のあまりのやる気のなさに1年生が苛立っていたことも理由としては大きい)最強の先輩の登場により、いままでいた先輩たちの立場がなくなった。
 中学生において、もともと運動をやっていてフィジカルが出来上がっている人ほどヤンキー化しやすいと言ったが、それはこの最強の先輩も例外ではなかった。最強の先輩は最悪のヤンキーと化し、ごく平和であったソフトテニス部に君臨した。僕含め、友達は最強ヤンキーが恐かったためご機嫌をとりながら練習をした。完全なる恐怖政治だったが、数週間経ちヤンキーレベルが上がって部活はおろか、学校にすら来なくなった。数週間ではあったが、筋トレでギブアップしたらボールをぶつけられる恐怖はいまだに忘れられない。その後最強ヤンキーはボクシングをはじめたらしい。怖すぎる。
 中学生1年生のときに、ポケットモンスターソウルシルバーが発売された。この頃はみんなゲーム大好きなので、みんな買った。もちろん僕も買った。ソウルシルバーには付属商品でポケウォーカーという万歩計がついていた。ポケモンポケウォーカーに入れて歩くと、歩数に応じてレベルが上がったりするという仕組みだ。もちろん学校は禁止していたが、みんなポケウォーカーをポケット入れて通学していた。ポケモンにドハマりしていた僕は通学だけでは飽き足らず、学校内を歩き回った。歩いて歩いて、歩き足りず授業中にお腹痛いと嘘をついて廊下を歩き、トイレの中をグルグル回った。今思えば普通にヤバい奴だが、多分ヤバい奴だった。学校側の取り締まりが厳しくなり、それからはポケウォーカーを学校に持ってくることはやめた。
 この頃はまだ小学生感抜けなくて友達と追いかけっこしたりしていた。かわいい。特に何かあるわけでもないまま中学2年生に進学。 
 
 中学2年生になり、クラスも担任も変わった。1年生と同じく小学校の知り合いが多いためほとんど知ってる人だった。
 中学生になると三者面談が始まる。親、担任、僕の三人で面談するアレだ。1年生の頃も三者面談してたのだが、担任がババキラーで悩殺されていたため褒めちぎられて終わりだった。(特に問題を起こさない地味な生徒だったのですぐ終わった)しかし、2年生は若い男性の先生が担任であったため、ババキラーは効果を発揮しない。にもかかわらず、2年生の三者面談では1年生の時とは比べ物にならないほど褒めちぎられた。かいくんは本当に素晴らしい!どう育てたらこんなに優しい子が育つのか教えてほしいくらいだ!みたいなことをお母さんに言ってお母さんもまんざらではなさそうだった。いい子に育ってよかったな。しかし僕の中ではなぜあんなに褒めちぎられたのか疑問が残っていた。まだこの担任の先生になって日が浅い2年の1学期の三者面談で、特に何かいいことをしたわけじゃないのにこんなに褒められたのはなぜなのか当時から本当にわからなかった。
 学校でそこそこ楽しみなイベントといえば席替えだろう。僕も普通の中学生だったので友達と近くなるかな、気になる女の子と近い席になるかな、などなど席替えはドキドキしていた。しかし、中学生2年生の席替えは何かがおかしかった。というのも、席替えで3回連続同じ女の子と隣になったのだ。その女の子とは学校でいじめを受けていた女の子だった。その女の子は小学校時代もいじめを受けており、その流れで中学校に入っていじめを受けていたのだ。その女の子と隣になるだけで、僕は友達にからかわれるのに、それが3回連続となるともうものすごいイジられようで僕もウンザリしていた。
 後に友達に聞いた話によると、担任の先生が僕が必ずそのいじめられていた彼女の隣になるように意図的に操作していたらしい。(席替えは班長という何人かの選ばれた生徒によって席が決められる。その時の班長会にて先生が僕を彼女の隣になるようにしていたらしい)先生は僕のことを優しい生徒だと思い、意図的にいじめられていた彼女の隣に配置していたことは後になってわかった。しかし、僕がもし優しい生徒だったとしてもその彼女のいじめを解消するようなことにはならなかったし、いじめに加担せずとも見て見ぬふりをしていた。当時はなんだあの担任ふざけんじゃねえよ!と思っていたが今になって、そのような期待をかけられていたと思うと心が苦しい。明らかないじめが存在していたにもかかわらず、特に何も行動を起こさなかったのは何も考えていないガキだったからと言えばそれまでだが、本当に子供というのは恐ろしいと感じた。いじめは本当によくない。
 僕は走り方がおもしろいらしかった。50m走の計測や、体育祭の時には知らない人にまで笑われた。変なのはわかるが、どこが変なのかはわからなかった。友達から聞いたところによると、走り方を見て、女子テニス部が僕のことをワルイージと呼んでいたらしい。普通に辛い出来事だった。
 小学生編でフグ子を好きになったように、中学生でも好きな女の子ができた。女子ソフトテニス部の活発な女の子である。ちなみにフグ子は中学受験で私立中学に行った。中学生2年生になってガラケーを買ってもらった僕は、その女の子と仲の良い男子に仲介役になってもらってメアドをゲットした。メアドをゲットってなかなか懐かしい響きだな…。メアドをゲットして女の子とメールをしたのだがここで驚いた。女の子は「じ」を「ぢ」と言うのだ。あと絵文字がありえないほど多い。例を挙げると「まじすごいよね!」→「まぢすごいよね!😆わら」みたいな感じで変化する、いやホントはもっと絵文字多いんですけどね。そういう女の子に毒された男たちは「じ」を「ぢ」にしていたが、流行り物をとりあえず批判したい中学生だったので、「じ」を「ぢ」に変える奴wwwwという態度だった。
 そんなことはどうでもよくて、その女の子とのメールのやり取りは順調だった。返信早いし、絵文字もたくさん使ってるし、たまにハート使ってくるし、これはいけるかも!?と当時の僕も思っていた。しかし僕は当時からシャイボーイだったので、メールでは饒舌でも学校で実際に会うとドキドキしてア、ア、って感じだった。そんなシャイボーイだったのでなかなか告白できずにいた。なかなか告白できずにいると、その女の子は別の男に取られてしまった。純粋な僕は、僕のこと好きじゃなかったの!?!?!?と思ったが返信早いのは暇だから、絵文字があるのは普通のことでハートに特に意味はなかった。自分の気持ちは誰にも悟られたくなかったため、その女の子のことは好きじゃなかったことにしてそのように演じた。ちなみにその女の子と付き合ったのは小学1年生からの友達だった。実に複雑な気持ちだった。
 
 3年生になった。だいたいの生徒が高校進学に向けて受験勉強をはじめるこの時期、僕はスマブラ64にハマっていた。きっかけは従兄弟ことやったスマブラだった。家でファルコンを動かして遊んでいただけの僕にとって、この世界で1番強いのは自分のファルコンだった。しかし従兄弟は強かった。ネスのぺちを使いこなして僕のファルコンを奈落の底へ何度も突き落とした。自分が最強だと思っていたので悔しくて仕方がなかった。従兄弟と会うのは一年に一回のみ、来年こそは絶対にブッ倒すと心に誓い、永遠のトレモが始まった。毎日トレモで操作練習、着地キャンセルや投げからのコンボなど熱心に練習した。メインキャラをファルコンからドンキーに変え、そして一年が経過した。従兄弟とのリベンジ・マッチ、結果は圧勝だった。勝負にならないほどだった。スマブラによって僕は努力することの楽しさを覚えた。
 高校進学を考えてる生徒は3年生になると内申点が嫌でも気になり始める。毎日の積み重ねが反映されるのが内申点だが、僕は中の中の成績を中の上に上げるために定期テストに向けて気合が入っていた。しかしテスト一週間前に友達がMOTHER3を貸してくれたので、これはしょうがないと思い見事に中の下まで成績は下がった。MOTHER3楽しかった。
 体育祭が終わり、体育祭で頑張っていた人を讃える体育祭がんばりカードというものを書くことになった。みんなが真面目に書いている中、僕だけ友達の悪口をびっしり書いた。(畜生)結果先生に呼び出され、1ヶ月間教室ひとり掃除という罰を受けることとなった。罰といっても教室の掃除がそこそこ好きだった僕にとってはあまり苦ではなかった。むしろみんなでテキトーに済ます掃除より、1人で完璧にやり切る掃除のほうが遥かに気分が良かった。ただ廊下を通りすがる生徒の視線だけが苦しかった。
 僕は冗談抜きでヤンキーが恐ろしかった。仲のいい友達とお祭りを楽しんでいると、突然、同中学のヤンキーに飛び頭突きという運動神経の良さそうな技を受けたことがあり、その事件から僕の中では中学生ヤンキーは見境がない動物という認識になった。僕はケンカ、タイマンみたいなことには本当に自信がなかった。身体能力的にはもちろん、特に精神的に弱いので威嚇されたら簡単にかわいいワンちゃんになれた。そのためヤンキー組に目をつけられないように微妙な立ち位置を保つことに全力を注いでいた。目立ちすぎればイジりの対象、目立ちすぎなければイジメの対象になるこの世界で生きていくには、たくさんの浅い友達を作ることが肝要だった。浅い友達を作れば、ヤンキー組との友達の友達か、友達の友達の友達ぐらいにはなれるため非常に調度いい立ち位置に着くことができるのだ。こうして僕は中学時代を平和に生きるつもりだった。つもりだった。
 2年生の夏休みの宿題に、一つの生物を調べてまとめてポスターにするというものがあった。当時から自然とユーモアさ、を売りにしていたため、調べる対象をザリガニにし、小物らしく小笑いを稼いでいた。しかし、身内の小笑いで済むはずだったのだが、クラスイチのヤンキーが僕のザリガニポスターを見てお前おもしれえな判定をしてしまった。目立ちすぎてしまった。それからというものの、授業中話しかけられたり、雑なフリを受けたり精神的に辛いものがあった。根暗民族ならわかると思うが、僕らのような人間はヤンキーに話しかけられるだけで過剰なストレスがかかる。(イジめられてなくても、イジめられてるように見えるんだろうなと思い惨めな気持ちになる、また、逆鱗に触れる危険があるため自由に喋ることができない…等)愛想笑いをしすぎて頬が吊りそうになった記憶がある。ヤンキーとの会話は普通の会話の3倍は疲れた。精神的に参ってしまっている中、救いの手が差し伸べられる。席替えだ。ヤンキーが頻繁に話しかけてくるのは席が近かったこともあるのだが、席替えによってヤンキーと離れることができた。こうしてヤンキーとはなんとなく疎遠になり、変なイジり等もなくなった。そしてしばらく経って、とある事情(忘れた)でそのヤンキーに話しかけなければならない状況になった。イヤだなあと思いつつ、心臓の鼓動を隠して話しかけると
 
「お前、名前なんだっけ?」
 
………………………………。このヤンキーにとっては僕は本当におもちゃに過ぎなかったんだなあと感じた瞬間だった。実話。
 制服のある学校に通っていれば誰しもパンチラに遭遇することはあるだろう。パンチラ遭遇率が最も高いであろう階段、僕は階段パンチラは非常にリスクの高いものだと当時から感じていた。階段パンチラとは、スカートを履いた女子生徒が階段を登り、それを下から拝見させてもらうというものだ。僕は「さすがに女子も階段登ってたら警戒するだろ」と思っていた。どういうことかというと、欲望に負けて女子のスカートとの中身を見上げてみると、そこにはゴミを見るような女子の目が…ということになってしまうのではないだろうか、ということだ。ということだ。パンツを見ることと、そこ女子生徒に命を握られること、あまりにもリスクリターンがあっていない。人生において堅実な立ち回りをしたい僕にとって眼球上スマをパなす勇気はない。故に、今も昔も、階段では必ずこれでもかというほど視線を下に向ける。今日もまた、上履きにマイネームで書かれた下手くそな自分の名前を見ながら階段を上がっていた。黄色。黄色だった。階段の踊り場に着いた瞬間に黄色が目に入った。黄色かった、そこには黄色があった。踊り場には女子ヤンキーが座り込んでいたのだ、立ち上がる瞬間だったか、思い出すことはできないがたしかにそこには黄色があった。女子ヤンキーは幸いにも僕(の存在)に気付かず行ってしまった。僕には眼球上スマをパなす勇気はない、しかし、あの黄色だけは7年経った今でも忘れることはできない…。大学生になって、シャンプーハット程の丈のスカートの女子高生をよく見かける。何が彼女達をそこまで駆り立てるのかわからないが、上スマをパなしたくなるような上がり方はやめてほしいと切に思う。